日記

40代独男、転落の軌跡

6月22日(金)

 今歩いているこの道が、いつか懐かしくなるだろう。

 というわけで、未来の自分のために先週の九州出張帰りに行った鹿児島の写真をアップしておくことにする。

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 最初の目的地である桜島はあいにくの曇り空で山頂を拝むことが出来なかった。フェリーの中では名物のうどんを食べた。

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 上陸後は名物の足湯に行くも暑くて足湯どころではなく、
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 汗を流すためマグマ温泉へ。

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 市内に戻って西郷隆盛像を観て、

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 ホテルにチェックインして、夜は薩摩名物と焼酎で一杯。地元のサラリーマンにおススメの焼酎をご馳走になった。 f:id:tomoikazunaga:20180626202350j:image

 明けて翌日土曜日は、ホテルの朝食で鶏飯、黒豚カレーを食べて、

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 維新ふるさと館でロボットショー(?)を観て、

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 鹿児島中央駅鹿児島ラーメン食べて、

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 東京に戻った。

 旅行中はいつも「俺一人で何やってんだろう」と考えてしまうのだが、帰って数日経ち、写真を見ながら思い出すと、とても楽しい気持ちになる。きっとこの鹿児島旅行もそうなるんだろう。

6月6日(水)

 人間、生きていれば臭うものである。

 問題はそれが一過性のものか、持続的なものかだ。

 仕事関係に臭いにうるさい人がいて、通勤や外出先で嗅いだ人の口臭や体臭が不快だとボヤかれる。その人は自他共に認める無臭な人なので文句を言う権利はあるのかもしれない。

 今日、そんな人から「たまにあなたも臭いときあるよね」と言われた。自分は別に己を無臭だと思っていないし、前日飲んだ酒やつまみの臭いがどんなに気をつけても残っていると思われるので平謝りなのだが、その人はわかっていない。

 自他共に認める無臭なあなたでも、臭うときがあるのだ。体調が原因なのか昼飯が原因なのか知らないが、臭うときは臭っている。コーヒーを飲んだ後なら口からコーヒーの匂いが口臭として発射されている。

 そういうことはカウントせずに、臭っても一時的で、その他香水等の匂いすらしないので周りから「無臭」と言われているのだ。「たまに臭い」のが私なら、あなたも「たまに臭い」あなたなのだ。

 なお、普段無臭の人が臭いを発していると無意識のせいでことのほか臭いということをお忘れなく。

6月3日(日)

 数日前から帯状疱疹になった。

 加齢やストレス、疲労などで免疫が弱っているときになる病気らしいが、最近は仕事も落ち着いていて体力的には余裕があり「なぜ?」という感じだ。

 考えられるのは休日に感じるストレス。金も時間もあるのにすることがなく、何かせねばと気だけが焦り空回り。その足で街に出れば家族連れ、恋人たちが目に入り「俺はこのまま一生独りなんだろうな」と、自分の行動に意味を感じられなくなる。ならばせめて食事をと思い店の前まで行くが、「死に体で何を食う?」と空腹のまま家路につき、酒を飲んで寝る。

 いつからこんなカッコ悪い大人になってしまったのか?

 とりあえず身体の痛みは筋肉痛程度なので、病院には行かず、投薬治療にかかるであろう一万円分の栄養を摂ることにした。

 クソッタレ人生。

5月12日(土)

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 4時に目が覚め、二度寝するのはどうかと思い、西村賢太の小説をパラパラ。すると文字の中のなんとも旨そうな出汁つゆの香りに普段はならない朝の腹の虫がぐぅ〜、8時過ぎに身支度を整え電車に飛び乗った。部屋を出たときは日本橋方面の立食い蕎麦へ行こうと考えていたが、そういえば前から一度と思っていながらスルーしていた中野の田舎そば「かさい」を思い出し途中下車。

 どちらかといえば細切りの都会的な蕎麦が好きな自分だが、太い蕎麦にしっかりしたつゆが絡むその田舎蕎麦は西村賢太のイメージも重なってかとても美味しかった。

 食後、そのまま帰るのはどうかと思い中野の街をふらふら歩いていると、広場でメルカリプレゼンツ(?)のフリーマーケットが開かれていた。

 自分は古本は買い読む人だが、古着は買わ着ない人なので、商品を広げたそばから商品に群がる客たちの気持ちがわからない。

 棚やハンガーラックを用いて陳列する人、手製の値札をひとつひとつに付け綺麗に並べている人、文字通り「服の山」を作り売る人。

 引っ切り無しに人が群がるスペースと誰一人寄り付かないスペース。

 マーケティングを試みるが、正解が分からない。「もし自分が売るなら」と考えてみたが、おそらく手間暇かけてあれこれ準備するも2、3個売れるだけで時給換算したら大赤字といったところだろう。

 いつだってそうだ。思惑は頓挫する。上手くいったことなど一度もない。

 そもそもみんなよくそんなに「いらない服」やら「いらない物」を買ったり家に置いておけるなと思う。自分なら買う前にずっと使えるものかよく考えて買うし、売るより前にゴミ箱に放り込んでいる。

 フィギュアやぬいぐるみを売っているオヤジがいた。ひとつもお洒落じゃないお洒落気どりのオヤジが小型犬を連れていた。なぜかオヤジばかりが目についた。

5月6日(日)

 ゴールデンウイーク最終日は東京の自宅自室で漫画を描いて過ごした。前日まで東北の田舎に帰っていた際、やることがなく「まんが道」を読んでいたのが影響したんだろう。ネームも描かずに、思いつくまま、子供のころのように、好き勝手、自分の自分による自分のための漫画を描いて過ごした。

 誰に見せるでもない創作活動は完全にオナニーだ。夕方、暗くなりペン先が見えなくなったところで我に返り、「俺は一日何をしていたんだ」と自己嫌悪するのも、オナニーと一緒だ。

 ところで女の人もオナニーの後は気持ちが萎えるのだろうか? 場末の飲み屋のババア曰く。「男が一人でした後虚しくなるのは当たり前。命殺してるんだから」

 一日部屋から出ないのもどうかと思い、隣町まで散歩がてら夕飯を食べに出た。

 通りでロマンスグレーの男とすれ違った。「若い頃はモテたんでしょうね」な男の眼は残念ながら死んだ魚ってやつで、右手には缶チューハイ、左手にはコンビニの袋、その中身は晩飯かあるいは朝飯か、サンドウィッチが入っていた。

 塀の上の黒猫曰く。「ごらん。あれが十年後の君さ。家族もなく友達もなく、趣味すらもない。だから休みの日にはすることもなく、ああやって一日の終わりに酒を呑んで人生を悔いるのさ」

 定食屋で簡単に夕食を済ませ、駅前のマクドナルドでコーヒーを飲みながらこれを書いている。どこで間違えてしまったんだろう? いや、どうしてあの頃「自分は間違えていない」と疑わずに生きていれたのだろう。そんなことを考えながら。

 もっと大切にすれば良かったと思う夜と、もっと粗末にすれば良かったと悔やむ夜がある。どちらにも共通するのは、もう二度とその夜はやってこないということだ。

 明日からまた犬の生活だ。しかも休み明けからカロリーの高い催しが用意されている。ありがとう、ありがとう。

 仕事があって、お給料が貰えて、毎日美味しいご飯が食べられるだけで感謝だ。そうさ、戦争反対、世界平和だ。

 死にたい人はとりあえず一年後にしましょう。そして一年頑張れたらもう一年後にしましょう。そうやって一年、一年とやっていれば、そのうちゆっくり何か良いことがあって、もう少し生きていてもいいなぁって思えるようになって、それでまた死にたくなったら一年後、また一年後、、、

 生きよう。