日記

40代独男、転落の軌跡

3月6日(土)

◯6時起床、休日。

歯列矯正のための定期通院。審美系の歯科医院。これまで待合室で一緒になるのは女性だけだったが、今日は若い男の子と一緒になった。マスクの下はわからないが、目元を見る限りイケメン(しかものちにわかるが医大生とのこと)。こっちとら昭和生まれのポンコツオヤジ。対抗意識を持つつもりなど微塵もないが、なんだか急に恥ずかしい気持ちになった。

◯銀座辺りをふらふら。通りで人とすれ違うたび、言ってはいけなことが頭に浮かぶ。

◯自分が休日に出歩かないのは、コロナがおそろしいわけではなく、実は、電車に乗ると向かいの席に座る豚がおそろしく、百貨店へはいりたくても、自信に満ち溢れた狐販売員がおそろしく、レストランへはいると、その場に相応しくない猿がキャッキャと騒ぐ姿がおそろしく、くらくら目まいして、世界が真暗になり、ほとんど半狂乱の気持になってしまって、目的を果たせず家に逃げ帰るようなことが、しばしばあったほどなので、とても、東京のまちを歩けず、それで仕方なく、一日一ぱい家の中で、ごろごろしていたという内情もあったのでした。そして、その獣が人間だったと知って、自分の人間恐怖は完全なものになったのです。

◯今日のおやつ。ファミリーマート、冷やして食べるこだわりなめらかクリームパン。

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◯今日の映画「犬鳴村」。ホラー映画界の巨匠・清水崇監督作品。ホラー映画で重要なのは登場人物たちがなぜその恐怖を受けることになるのか、その理由だと思う。ハリウッドのスプラッター系なら「理由もなく」が逆に恐怖になる場合もあるが、日本の伝承、幽霊もののホラーはその辺りのつじつまが合わないと全く怖くなくなってしまう。清水監督作品はいつもそこが甘いと思う。特徴である恐怖がビジュアルではっきり見えるのはスプラッター系の怖さと同じで、その瞬間は怖いが、のちのち思い出して背筋がぞくっとする独特の恐怖とは違う。自分がホラー映画を観る時に求める恐怖は後者なのでとても残念。なお、映画を観た後、実在する旧犬鳴トンネルの写真や、その都市伝説を文字で見て、監督が映画を作るきっかけになったであろう背筋がぞくっとする感じがわかった。

◯10分瞑想。継続21日目。やり忘れていたのに気づき寝る前にやった。やったという事実を作るためにやる瞑想に意味はない。