日記

40代独男、転落の軌跡

10月29日(日)

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『最近自分で自分がわけわからんのです』

野狐禅の「山手線」の歌詞のように、最近どころかずっと、ここ何年も自分で自分が何をしたいのかわからない。

今、自分は出張先のビジネスホテルでこれを書いている。予定を1日繰り上げて来たので夜は外で一杯やろうかなどと考えていたのに急に冷めてしまい、コンビニでアルコールを買って引きこもったわけだ。

この「冷め」の原因は明らかに経験からくるものであり、「どうせ期待しているようなことは起こらない」という諦めに他ならない。

何を期待しているかといえば、可愛い子との出会いであったり、そんな可愛い子との一夜限りの関係なのだが、出張先で可愛い子と知り合っても先がないし、風俗にも行けない自分が一夜限りの相手と何ができるというのか。

こう書いてみると自分のことがよくわかっているように思えなくもないが、明日の朝には「なぜ行動しなかった?」と今日の自分を責める自分がいる。そしてこれは出張先という特別な環境がそうさせているわけではなく、毎週日曜日の夜には週末に行動しなかった自分を「なぜ行動しなかった?」と責める自分がいるのだ。

自分で自分がわからないのは性欲の部分だけではない。お金もそう。

幸いなことにそれなりの収入はある。でも一人の食事や一人で過ごす余暇、旅行に対してお金を使うと無駄遣いをしている気がして何となく楽しめない自分がいる。とはいえどこかに出かけていつもと同じ食事をすれば「なぜこんなところにまで来てどこでも食べられるものを食べているんだ?」と自分を責める自分がいる。

こんなことを何年も繰り返している。昔からその気質はあったのだろうが、その傾向が強くなったのは10年以上付き合った彼女と別れだった。

ずっと全てを理解し肯定してくれていると思っていた人からのNOは、自分の羅針盤を確実に狂わせた。

彼女に責めを負う気はないが、これからもし誰かを好きになっても、何となく一歩引いたような付き合い方をすることになる気がしてならない。そんな愛なら独りぼっちでいいかと思ったりするけど、やっぱり独りぼっちは寂しいと震える夜もある。本当に自分で自分がわけわからない。

ただ、わかっているのは、「そんなくだらないこと考えてないで一緒にお風呂入ろう」と言ってくれる女性が現れれば全てどうでもよくなるということだけだ。