日記

40代独男、転落の軌跡

12月3日(木)

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 12月3日木曜日、代休とっての休日、雨のち晴れ、4時起床。別に休日だからはりきって早起きしたわけじゃない。前日早く寝すぎて早く目覚めただけだ。
 
 午前中に新宿のクリニックに行くという以外、予定のない一日。休日だからといって何かしなければならないという決まりはない。何もしない休日があってもいいじゃないかと、帰りにスーパーで食料を買い込み、14時前には部屋に戻った。
 
 パンにマヨネーズを塗り、キャベツを乗せドレッシングをかける。その上にチキンカツを乗せソースを垂らし、マスタードを塗ったパンで挟み込む。金がないころ、たまの贅沢に作っていたサンドイッチを久しぶりに作って食べた。金を持つようになって当たり前に食べるようになったサブウェイのサンドイッチも美味しいけど、金をかけず時間をかけるお手製サンドイッチのほうが美味しいのはなんでだろう?
 
『金の切れめが縁の切れめ、ってのはね、あれはね、解釈が逆なんだ。金が無くなると女にふられるって意味、じゃあ無いんだ。男に金が無くなると、男は、ただおのずから意気銷沈しょうちんして、ダメになり、笑う声にも力が無く、そうして、妙にひがんだりなんかしてね、ついには破れかぶれになり、男のほうから女を振る、半狂乱になって振って振って振り抜くという意味なんだね、金沢大辞林という本に依ればね、可哀そうに。』太宰治人間失格」より
 
 数日前、急に連絡が取れなくなった元彼女と再び連絡が取れるようになった。会う約束をしていたのに連絡がとれなくなったので、何か事件に巻き込まれたり病気にかかったりしたのではないかと心配していたが、メールを無視したり電話に出なかった理由は「自分のことはもう忘れて新しい恋人を作って欲しい」というものだった。
 
 まだ彼女のことが好きだ。街を歩けばあちこちに彼女との思い出が貼ってある。新しい景色や経験はなるべく控えている。また彼女と付き合うことになったら、一緒に見たり体験して、新しい思い出を街に貼っていきたいから。
 
 10年以上付き合って別れたその理由はボクの男気のなさということになっている。親に挨拶もしない、しようともしない。結婚もしたいというわりにずっとフリーターで将来のビジョンがない。
 
 幼少のころからの夢を諦め、就活のためにフリーターを辞め、無職で無気力の、金も自信もなくなったボロボロのときに突きつけられた三行半だった。
 
 親に挨拶しなかったのは絵を描いて食べていくという夢を叶えて何者かになってからという精神的な理由と、距離という物理的な問題、あとは彼女が付き合った当初から結婚や子どもを望んでいなかったからだった。だが夢すら失った人間の口から出る言葉はただの言い訳でしかない。だから彼女の別れ話をコーヒー一杯を飲むだけの時間で受け入れ、10年以上の時間に終止符を打った。
 
 運命はいたずらだ。
 
 彼女と別れた後、高卒で履歴書にかける職歴がアルバイトしかなかった自分は、そんな経歴なのに人が羨むような安定の職を手に入れた。状況は変わった。あの素晴らしい愛をもう一度。そう思って何度もアプローチをしたが、彼女の首が縦に振られることはなかった。
 
 一度割れてしまった卵を直して、再び温めてもそこから新しい命は生まれてこない。もう最初の時点でその種は死んでいたんだ。いや、愛がなくなったなんて綺麗ごとか。愛なんて初めからなかったのかもしれない。
 
 付き合っていたころの話をする彼女の言葉は「無駄な時間を過ごした」「こんな年齢になって取り返しがつかない」という怒りが含まれている気がする。それが自分の負い目からくるものなのかはわからない。別れて一番辛いのはそれかもしれない。
 
 もう彼女に連絡するのはやめようと思う。そして彼女が幸せになって欲しいと心から思う。それは彼女のためを思ってとかいうそんなぬるい優しさではなく、彼女が幸せになることで彼女が思う自分が彼女に犯したであろう「時間を奪った」という罪が少しでも軽くなることを望んでのことだ。できれば自分がその幸せの柱のひとつになりたかった。今でも、きっと、ずっと。
 
 木金代休をとっての4連休の一日目は、そんなことを考えていた。