余命46年

30代独男、転落の軌跡

出来損ないのボクはワーキングクラスヒーローにすらなれない

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 フランスの女性哲学者、シモーヌ・ヴェイユは労働の実態を探るために、工員となって工場にもぐりこんだ。そこでの日々を書き綴った『工場日記』に彼女はこう書いている。

「ひどい疲れのために、わたしがなぜこうして工場の中に身をおいているのかという本当の理由をつい忘れてしまうことがある。こういう生活がもたらすもっともつよい誘惑に、わたしもまた、ほとんどうちかつことができないようになった。それは、もはや考えることをしない誘惑である。それだけが苦しまずにすむ、ただ一つの、唯一の方法なのだ。」

 労働の恐ろしさを書いた名文だと思う。そして工場での労働だけではなく、すべてのワーキングクラスの人でこの感覚を感じないで働いている人は鈍い人なんだと思う。

 自己実現だとか生きがいという観念を労働に持っている人は、完全に資本家の口車にのせられている。安い宗教をやっているようなものだ。友達にはなりたくない。

 シモーヌ・ヴェイユはこう続ける。

「ただ土曜の午後と日曜日にだけ、わたしにも思い出や、思考の断片が戻ってくる。このわたしもまた、考える存在であったことを思い出す。」

 ボクはここに労働の本当の恐ろしさがあると思う。

 思考のない機械の身体ならば、機械であることを憂いたり嘆いたりしなくていいのに、休日には心が戻り「なぜ自分はこんなことをしているんだ」と頭を抱える。そして解決の糸口を見つけるには余りにも短すぎる休日の後にはまた心を奪われ、機械の平日がやってくる。

 思考の凝固と融解。

 土日でリフレッシュして、月曜からがんばろう、などというすでに思考が存在しない工場のサイクルに乗っかっているような缶詰人間が嫌味なく羨ましいと思う。

 パンがなければケーキを食べればいい。死ぬまで本気でそう信じていられることが本当の幸せなんだろう。


 今日は土曜日、休日。

 ご覧の通りボクにも思考が戻ってきて、朝っぱらからこうやって散文を書いている。

 このハンバーガーショップの女子店員はいい感じに愛想が悪く、ワーキングクラスヒロインといってもいいぐらい死んだ眼をしている。

 彼女の眼に光が戻る休日に、百円では飲めないコーヒーでも飲みながら「希望」について語り合ってみたいものだ。

 きっとそこには絶望しかないだろうけど、それがボクにとっての希望になることを彼女は理解してくれるだろうか。