余命46年

30代独男、転落の軌跡

生まれてきた意味について考えるin札幌

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「人間はこの世界に生まれ落ちたとき、男と女、ふたつに分かれた。だからその片割れを探して彷徨い歩くのだ」

 たしかそんな感じのことをパスカルだかがいっていた気がする。「要出典」という曖昧な書き出しになってしまうのだが、なにはともあれ、まったくその通りだと思う。

 出来ればボクはキケンの多い外になど出たくはなく、部屋に引きこもり、本や映画を観て一生を終えてもいいぐらいに思っている超のつくインドア派だ。

 今現在、仕事の関係で北海道札幌にいて、夕方まで予定は何もないというのに、音楽を聴きながらこうやって文字打ちをしていることだけみてもその引きこもり願望がおわかりいただけるだろう。

 でもそんなボクでも仕事以外で、嫌々ながら外に出なくてはならないときがある。

 それが冒頭に書いた片割れを探す外出だ。

 東西南北、津々浦々。この世に生まれ落ちたときに離れてしまった女(ひと)を探して夜の街に繰り出すこともしばしば。

 昨日も札幌すすきののバーで片割れを探してみたが、山崎まさよし『One more time,One more chance
』が頭の中でリピートするだけで見つからなかった。「こんなとこにいるはずもないのに♪」なわけである。

 どうでもいいが、バーと名のつくものには金輪際二度と行かないと思う。これまで何度か一人でバーというものに行ったことがあるが、それぞれのバーには常連がいて、その常連というのは皆コミュニケーション能力が高いような顔をしている。でも裏を返せば、いつも行く店でしかその顔が出来ないからその店を利用しているだけで、別に特段コミュニケーション能力が高いわけでもない。彼彼女らと同席するとその無知に嫌気がさしてくる。そして店側もその無知を逆手にとって商売していると思うと実に馬鹿馬鹿しいと感じてしまう。だからもうバーには決して行かない。ちなみに昨日のバーテンは若いのに(あるいは若いから)ボクの店内を斜めに見ている空気を察し、「ここにあなたの求めているものはないですよ」と、早めの退店を促してくれた。実にブラボーである。


 人は自分の片割れを探して彷徨い歩く。

 何のために生まれてきたのか、という問いを突き詰めていくと、それは生物、人類の歴史を見れば一目瞭然で「子孫を残すため」である。

 こういうことをいうと「じゃあ、子供の産めない人(産まない人)は生まれてきた意味がないというのか」という人がいるが、個としてではなく人類という大きな枠組みでいえば、やっぱり人は子孫を残すために生まれてきたとしか考えられない。産めない人、産まない人もまた、その流れで生まれてきたわけなのだから。

 だからその使命をまっとうするため(たとえそれがなんらかの原因でまっとう出来なかったとしても)人は片割れを探して彷徨い歩くしかない。だからインドア派のボクも彷徨い歩いている。

 きっとボクの片割れも同じような気持ちでこの星のどこかを彷徨い歩いていることだろう。

 そこが地球の裏側アマゾンの奥地でないことを祈るばかりだ。